今でこそ転職して違う業界にいますが、以前はアパレルの世界に関わっていた私、20代後半で某ブランドの店長職を経験後、他の会社から誘われて別のブランドの立ち上げに参加しました。そこでスタッフ達と過ごした日々の話です。
Nさん(52歳・男性)の体験談
アパレル系、デザイナー志望の現場研修
大手資本のそのブランドはオープン前から話題になり、お店自体も大きな店舗でしたのでそれなりに期待されたものでした。オープニングスタッフとして私はバイイングと店長の補佐役、まずまず重要な立場でもありました。当時主流だったのはセレクトショップ、多くの会社がデザインよりも仕入れを重要視し出していて、デザイナー職の人間よりもバイヤーにスポットが当たり出していた時代でもありました。今でこそファストファッションが当たり前ですがその頃はまだ競争が激化する前、言うなればどのショップも方向性を模索していましたね。
職場は本社に企画スタッフがいてデザイナーブランド出身者で固められていました。ショップはバイイング関連と販売職のスタッフ、私はそのどちらも橋渡ししなければならない立場で結構面倒な役割でした。デザインスタッフとも打ち解け信頼もあったと思いますが、問題は売り場スタッフでした。アパレル関連の職場はどうしても売り場を下に見る傾向が強く、実際デザイナー志望の若手も最初売り場で研修がてら働くことが多いのです。それがいいかどうかは別として、やはりデザイナーを希望しているスタッフが売り場で頑張るとは限らないわけです。入れ替えも早い、他にいいブランドがあればすぐ異動、そんな風潮がありました。
スタッフの意識が低い現場、私が出した答え
スタートしてしばらくするとまず人材が揃わない。売り場のプロは店長だけ、彼女は売り場で生きていこうと覚悟がある人でキャリアも十分、人としてしっかりしています。でも若い人達とはかなりの温度差、遅刻は当たり前でしたしトイレに行ってサボってたり、仮病で休んだりとやりたい放題の連中でした。店長が不憫に思えて私が助けてあげないといけない、そんな気が強くなっていきました。
ある日店長と相談し、スタッフの教育は私が面倒を見ることに。これは私から提言したことです。言ってみれば嫌われ役を買って出たようなものですね。
正面からぶつかって見えてきたもの
そこからは毎日厳しく指導しました。朝の出社はそれまでより30分早く、終礼も少し長めに。もちろんブーイングは出ましたね。残業もそんなにつけられない状況でしたし、若いからそう理解してくれません。彼らからするときっと煙たい存在だったと思います。でも地道に続けて半年ぐらい経った頃、少しづつ意識に変化が現れてきた気がしました。お客さんからお褒めの言葉をいただくことが増えて若いスタッフも少しやる気を出してきたんでしょうか。私自身経験したことですが、適当にやっていた販売職もいいお客さんに出会うと急にやる気が出たりするもの。そんなきっかけがあるかどうかで随分と差が出るものです。
時に喧嘩もしました。つまらないからやめたいと言うスタッフもいましたし。でも結果的に若いスタッフは私がやめるまでの2年間、一人もやめずに続けてくれました。幸い人としてまっすぐなスタッフが多かったのでしょう。ぶつかっても根に持ったり持たれたりすることがなかったのは彼らが真っ当な人達だったからだと思います。彼らの努力もあって私がやめる頃には売上もノルマは楽に達成、本社サイドも売り場スタッフに対してとても評価してくれるようになっていました。私は他の会社に移るため職場を離れましたが、今でもあの頃は楽しかったなあと思いますね。毎日どうすればいいかみんなで必死だった、まるで部活のような日々でした。